秋の彼岸には

義父の時は、私は日中フルタイムでお仕事をしていなかったので主人がやってくれた。

私がやったことと言うと、お線香をあげにきてくださった、客人へ渡すお茶菓子と茶菓の準備ぐらいだった。

いつものようにお隣へ聞きに行った。

「お寺にお願いするのは塔婆ぐらいかな」

お隣さんのご意見を参考に、お寺さんへお盆のお礼のご挨拶かたがたお彼岸の塔婆をお願い行こうと思う。

秋の訪れ

少しづつですが、涼しくなってきました。
秋が近づいているのでしょうか。

昨日は、少し遠いですが、候補に上がった一つのショートステイの見学へ行ってきました。
長男は、時間が取れず次男と二人一緒に行きました。

前回見学した多少古くても近い方が良いと考えていました。
実際見学すると少し遠いようですが、見学すると中々良いではないですか。
ロングで引き受けてくれるなら、ここでも良いのではと思い始めていました。

もう一つゆきちゃんに係る介護のお仕事が、あります。
退院後のゆきちゃんの生活に関する話し合いです。
出席者は病院側のスタッフの方々とソーシャルワーカーさんとケアマネジャーさんと私たち家族だけと考えていましたが、一応主人の姉妹へ連絡しました。
義姉は出席するでしょうが、義妹は欠席の連絡ありました。

ただ、今までは無断欠席でしたが、欠席の連絡が来るようになりました。
一歩前進です。
連絡をいただいたことに感謝し、また何かあったら連絡をすることをメールしました。

私達だけでは、動かなかったことがゆきちゃんの孫たちが動いたことで前進しはじめました。

電話で義姉へ連絡するとねぎらいの言葉を頂戴します。

あの殺人的な暑い夏も少しづつ涼しさを取り戻し、秋が近づいてきたのでしょうか。

スーパーウーマン

我が家の義母ゆきちゃんが入院を知った元同僚がメールをくれました。
学院長思い出しますね。(元上司です)
ご主人が亡くなって老人ホームを探しているそうです。
今頃は入居なさっていることでしょう。

この方は、すごい女性です。

大正生まれの80代 当時バリバリ働いていました。

学院長という役職だけでなく協議会の会長までこなしておられました。

役職退任後、すでに90過ぎだったことと思いますが、パソコン教室へ通いだしたと伺いました。
ご主人の介護を楽しそうに元部下に話していると伺っています。(;^_^A

私が、専門学校を退職した年あいさつを兼ねてご自宅へ梨を送らせていただいたことがありました。
早速お礼のお電話をいただきました。
家事都合の退職でしたが、「パックさん あなたが辞めたと聞いて心配していたのよ。でも安心したわ。ご主人のお仕事を一緒にされるのね。この新しい品種で勝負をかけるのね」と言った前向きではつらつな声。。90を超える高齢者とはとても思えませんでした。

この方は、在職中転んで左腕を骨折したことありました。
一緒に見舞いに行ったことのある次男は、自身で老人ホームを探し、入居したことを知ると

「すごいなあ!自分で老人ホーム探すなんて!うちのばあちゃんじゃ考えられないよ」
ゆきちゃんと比べちゃいけない

「マッカーサーが来た時、一緒にお仕事した元女性官僚だからね。つわものよ」

「GHQ!」そうGHQの確か。。。なんちゃら女史とか言っていたかな?一緒にお仕事したって言っていたよ。
一度、雑誌の取材が来た時があったことを思い出しました。

名前をパソコンで検索できるくらいに有名な人でした。

当時 80代の彼女が、スーツ、パンプス姿で、でさっそうと学校へやってきた姿はただものじゃありませんでした。
急いでいる時は、4階までエレベーターを使わず駆け上がる、そんな人でした。
それも80は過ぎているのに。。。。
他人にも厳しい方でしたが、自分にも厳しい方です。
だから、家族がちょっと距離を置きたくなるのでしょう。
そんなスーパーウーマンの彼女も順風満帆ではなく介護問題は訪れたのです。
そして強い彼女は、彼女なりのやり方で乗り越えようとしています。

ただ、強い面ばかりでもなく困った時には、そっと救いの手を差し伸べてくれるそんな優しい面も彼女にはあったのですが、気づく人は意外と少なかったのでしょうか。




梨の甘さ

主人が亡くなって4か月が過ぎた。
梨畑で除草していると、ふと帰ってくるのではと思うことがある。

「今日の夕飯は何が食べたい?」

「美味しいもの」

「そういうのが一番困る」と返すと

「のど越し生」と必ず帰ってくるほどのお酒が好きだった。


摘果できなかった梨畑を見ると無性に悲しくなる。
暑い思いをして、収穫や箱詰めをやったよね。
出来もしないのに「梨づくり1000万円計画」なんて目標作って日が明るくなる前から、起床して梨畑へ行ったよね。

今年は、梨を口にすることがないと思っていたら、お父さんの従兄弟が「仏様に供えてくれ」と幸水を持ってきてくれたよ。
冷蔵庫で冷やし、息子たちと口にした梨は、とても甘かったよ。

施設を探す

ゆきちゃんの入院手術で色々環境を変えていくために動かなければならないです。

主人の姉妹を呼び寄せゆきちゃんの状態を説明し、これからどうしたいのか
たぶん 十分とは言えなかったのかもしれないが、協力は望めないとわかっていても・・・担当の先生の力やケアマネージャーの方の力を借りておこなった。

金銭的に余裕のない我が家には、できる限り金額のおさえることができる方法を選択しなくてはと考えています。入院して手術するにも高額医療費の申請ができるのか市役所で調べていただき、発行していただきました。

また、退院後、老健にお願いするよりも家族の負担がかかるショートステイの選択をした方が経済的にかなり良いとわかりました。

ふと義父が看取ったころを思い出しました。
経済的には、自営業の収入、私や主人も外で働いて農家に従事し家計を支えていました。
義父が入院するまでゆきちゃんは義父に誠心誠意支えてきました。
義父は入院して、しばらくすると自分の足で歩くことが出来なくなってしまいました。

人はこんなにも早く歩くことが出来なくなるのかと感じました。

入院後 義父のことは私たちにゆだねられました。
あの時は、義姉妹も顔を出してくれましたが、ゆきちゃんになってからは、年に片手に収まるぐらいになってしまいました。
主人が亡くなってからは、もっと少なくなりました。

入院、手術直後はびっくりするぐらいに、ゆきちゃんの認知症は改善されているように感じました。
ところが、一週間もすると認知症の症状がまたさらに悪くなってしまい手足の不自由さが加わってしまったようです。
私達にゆきちゃんが見れるだろうかそういう不安が押し寄せてきました。

退院後のショートステイを探そう。
息子とたちと力を合わせて乗り越えていこう。

明日は、きっと今日よりも良い日になると信じていこう。

コンプライアンス

二カ月前のこと 私はゆきちゃんの介護区分を決めてもらうためにかかりつけの大学病院へ足を運びました。

区分申請をするためには、病院の医師の意見書が必要です。
そのための情報が病院側にも必要だったようです。
その日最初、前半リハビリで手足のチェック、後半が看護師による問診があった。

後半の問診は、2年余りの受診履歴やケアマネージャーからの報告書をもとに質疑応答で書類を作れるようだった。

ケアマネージャーの文書やカルテを読みながらその担当看護師は「こんなのわかるわけないじゃないの」としきりにつぶやいていました。何かにイライラしているようにそのストレスを私にぶつけてきました。
ケアマネージャーの記録の中にゆきちゃんが何度も食事をとろうとしてしまう症状が記載されていたようです。
「手の届くところに食べる物を置いてあるからいけないのよ。」
え!認知症の進み具合を見るための指針では・・・
「どうして介護保険を使って手すりをつけないの。」
「いったい介護の見直しをする必要があるの?」と尋ねてきました。

こたえても何も返答をしてこないことがありました。返答を求めているのではないのかなと思うこともありました。私の返答に気に入らなければきつい一言が返されました。

介護区分の見直しのきっかけの質問に対して家庭の環境が急激に変わり、・・・と答えようとしたら
「そんなことケアマネージャーと相談することでしょう」と声を荒げて即答されました。
あまりのことに、密室状態の診察室を飛び出し外来の受付の職員さんに助けを求めていました。
その看護師は、ゆきちゃんの車いすをしっかりつかむと叫びました。
「介護の等級あげてあげるからそこに座りなさい。」

ゆきちゃんを残してきてしまったことを私はすぐ後悔しました。
その時の私には、彼女のきつい一言を受け入れる余裕がありませんでした。

すぐケアマネージャーに連絡し、事情を説明しました。
「書類を作成できるのは医師であって看護師ではないのですよ。」と説明がありました。
「近くに病院の職員さんいますか?変わってもらえますか」
ケアマネージャーの事務所と病院側の職員さんが話をされました。

少しすると師長らしき人が様子を伺いにいらっしゃいました。


問診が終わりケアマネジャーへ電話報告しました。
「大変でしたね。ゆっくり帰ってくださいね。」

その後、ゆきちゃんは怪我をして、私はこの病院へ電話を入れるが、その対応もこの看護師と似たような上から命令するような口調でした。もしかしたら、同じ看護師さんだったかもしれません。
整形外科が不在ということでゆきちゃんは、別の病院で入院、手術することになりました。

入院した病院は明るくてきぱきした印象の病院でした。
外来が多いのは、地域の人たちに信頼されているのでしょう。

こういう病院がゆきちゃんのかかりつけに出来たらどんなに良いだろう

それは、到底難しい状況なので、せめて近くで受診できる市内の病院へ紹介状を出してもらうようにお願いしにあの病院へ行ってきました。

担当の先生は、今後の成り行きを心配してくださり励ましのお言葉をくださりました。
あのきつい看護師さんのことありましたが、それでもです。
この先生は本当に優しい先生でした。

「ありがとうございました。」心から感謝しました。

明日はよい日になりますように






ターニングポイント

ゆきちゃんの手術日は間違った郵便物の配達から始まった。

11時半からの手術なので早めにランチをいただいて、病院へむかった。

病院の前で長男に合う。
「おう!俺ばあちゃんの顔見てきたよ。これから用事あるからいくよ。」

待合室を通過する時、外来受診で待っていた主人の従兄弟に合う。
「おばあちゃん 入院したんだって?お大事に」
「何々?なんでバレてるんの?」
犯人は直ぐわかった。
長男だ!
あいつの口は羽より軽い

ナースステーションでねえさんとmacoちゃんに会う。
「今日はお忙しいところ。。。」
ねえさんはねぎらってくれるが、macoちゃんはそっけない。
挨拶してもスルーされる(ある意味いじめだ)

手術が終わり、ケアマネージャーさんが来てくださった。
そしてケアマネージャーさんは、ねえさんとmacoちゃんにゆきちゃんと我が家の様子を説明して施設を利用することを提案してくれた。
「退院してもまた転ぶことは十分にあります。家族では、もう見切れないところまで来ています」

ねえさんは、ケアマネージャーさんに施設のことを聞いてくれた。
それから私にも聞いてくれた。
どういうところがあるのかとか経済的にどうなのかとか・・・だがmacoちゃんはずっとむすっとしてにらんでいた。
帰宅時もmacoちゃんからは挨拶一つない。

長男から電話があった。
ケアマネジャーさんのお話があったが、macoちゃんの態度があまりにも冷たいと落ち込んだことを話した。
「私は誰を介護しているのだろう」
長男にどうにもできない感情をぶつけた。
それでも「大丈夫だから…考えすぎだから」と長男は言い電話を切った。

夜 ゆきちゃんの顔を見に病院へ行ったが、良く寝ていた顔を見て起こさずに帰宅した。
帰ってきて間もなく長男がやってきた。
「 MIKI ちゃん(姪)と話をしたんだけど、二人ともゆきちゃんの認知症のこと受け入れられないんだよ。」
「MIKIちゃん言っていたよ。こっちは任せてよ。うまくやるからってさ」

何かが動き出そうとしている。
ふと感じた。

明日は良いことがありますように




なるようになる

担当医の説明は、ねえさんとその次女と私と下の息子の四人でした。
姪は介護の職業をしているので我が家の介護にとて協力的だ。
葬儀の時もゆきちゃんのお世話をすすんでやってくれていた予想外の助っ人だ。
義妹のmacoちゃんは、欠席だった。

説明は、高齢者であるリスクはあるが検査の結果が良好なこと、そのままにしておいての完治までの時間とそれによる認知症の悪化 それと逆に手術によるディメリットもあげられた。
先生は、手術をすることによって生活の改善を前向きに説明されたのだ。
手術をして完治まで2週間という期間は、姉さんたちの気持ちを大きく動かしたようだった。
ただその後の生活を私たちは考えなければいけない。
姪はそのことも深く心配してくれていた。


まさにこの日に ゆきちゃんの急なデイサービスのキャンセルの電話を入れた施設から連絡が来た。
ゆきちゃんの左上腕骨折で手術入院のお話をさせていただいた。
あまりにも突然のことで驚いていた。(高齢になるとこういうことは、想定内だということは私たち家族は承知していたのだが・・)

「どうして!パックさん家族がこんなことになるの?」

なんて答えていいのかわからない。

「病院にはソーシャルワーカーがいるから、あまり深く考えないでなるように任せた方がいいから」

この後、担当医の話で、この状態でデイサービスの受け入れが難しくなることが分かった。

もともと大腿部骨折で金属が体の中にはいっていること、さらに今回のことは、私たち家族では担えないものになるだろう。

ショートステイもこの状態で受け入れてくれるところは限られてくるだろう。

夕方テレビのイヤホンとカードをもってゆきちゃんの顔を見に行った。

「ゆきちゃん ご飯食べた?」

「おにぎり食べたよ。二つも食べたよ。」
嬉しそうに答えた。
「明日 うちに帰れるかな?」

「うーん もう少しかかると思うよ。」

ゆきちゃんは、テレビを見ようとしない。
イヤホンから聞こえるテレビの音を子守歌にして寝たようだ。

イヤホンを外し、テレビを消して病院を後にした。

明日はきっと良いことがあると信じていよう。

台風が近づいてきます

今回は、風よりも雨が強い台風なのでしょうか。
梨を続けていたら、さほど心配していないことだったでしょう。

新盆もあって棚をつった近くでゆきちゃんは食事をしていました。
あーどうして気づいてあげられなかったのでしょうか。
私は台所で食器の後片付けをしていました。

物音がしたのかもしれませんが、気づくこともできませんでした。
最初に気づいたのが次男でした。
ゆきちゃんの様子をみて左腕の様子がおかしい事は直ぐにわかりました。

最初にかかりつけに電話をしましたが「受信時間は終わりましたよ。」の一言から始まりました。
かかりつけということもあり、救急病院に認定されているからこともあったので連絡したですが、・・・・、今度も、前回も冷たい対応です。
人が回っていないのでしょうか。
かかりつけを変えた方が良いのかなと微かに感じてしまいました。

他の近くの病院へ電話をしても無駄なことに気付き救急車を呼ぶことにしました。
今年は、主人、デイサービスの職員さん、ゆきちゃんで救急車をお願いするのは三回目です。
三回目、ゆきちゃんと一緒に救急車へ乗ることになりました。
気が付いたら、腕は固定されていました。(さすがプロです。)
救急車の中に、備え付けのホワイトボードがありました。

ホワイトボードには、外科、整形外科、小児、などなど担当が動いている病院がリストアップされています。
これをもとに、消防署の職員さんは、電話連絡して搬送してくれるのですね。
家族の代わりに動いている数少ない病院へ電話連絡して、受け入れてもらえるよう説得してくれます。

あー主人の姉妹と顔合わせがあります。
気が重いし何を言われるか覚悟しないと・・・・台風がやってきます。





ご近所さん

昨日新盆に入ろうとしたときご近所さんから電話がありました。
そのご近所さんは、梨の農機具を預かってくれている方です。

亡くなってから農家のお世話係の方たちがあまり足が向かわなくなった畑にある農機具を心配して預かってくれることになっていました。(盗まれることがあるからです。)
そのご近所さんはその三人中の一人です。

電話の内容は預かってくれている農機具の中のスプレイヤーを譲ってくれというものでした。急に言われてもということと車を運転しているからということで電話を一度切りました。
こちらから折り返しするといったものの考えがまとまりません。
スプレイヤーは主人が70~80万ぐらいで購入したもので、実際にどのくらいで売却していいのかわかりませんでした。
そうだ!主人の従兄弟に梨農家がいたから相談してみよう。

ところが、待てなかったのですね。すぐにご近所さんから連絡がきてしまいました。

まだ売れないというのが私の結論になりました。

自分の我がままだというのは十分にわかっていることです。
出来るだけ早く処分しなくてはならないこともわかります。
ただ、自分の判断で処分したいのです。
知らないうちに、流されるまま処分されることは、自分の意志ではありません。

勝手だと思いながらも、農機具を我が家の敷地に移動してもらいました。

さて、今日も暑いかな。

朝早々 ご近所の奥さんがお線香をあげに来てくださいました。

「ありがとうございました。」

「頑張ってね。」

踏み込みすぎない、そんな優しい距離感が私は好きです。




妄想

おはようございます。
毎日殺人的な暑さが続きます。
今日もゆきちゃんはデイサービスの準備をしています。

「今日はお休みだよ。明日行こうね。」と声をかける。
「今日迎えに来るって行っていたから」とゆきちゃんが言う。
誰もそんなことは言っていない。

良く言うその場限りの嘘だと思っていたが、もしかしたらこれって認知症の症状?

ゆきちゃんの認知症外来で妄想のチェック欄がある。
いつも無しにチェックを入れている欄である。

いつもスルーしていることでも、確実に病気は進行しているのかもしれない。
穏やかな人だから私たちも気が付かないのかもしれない。

50代からのハローワーク

昨日はゆきちゃんのデイサービスでした。

家族が出かけた後 畑の除草作業、お盆の買い出し、それから。。。

このままうだうだしていたら自分で自分が嫌になる

タウンワークを開いてみました。

私は、今の週2,3日のパートに出ているし、ゆきちゃんの介護もあるけど、ショートをこの日に設定して・・・。

ダブルワーク可能なものを、拾い出していきます。

まずは、お盆が終わってっから可能かどうかの電話の問い合わせをしてみよう。

電話をしてみて気が付くことは、あれもこれもある。

夕方からの勤務なら、今のシフトは気にならないと。でも26時まではちょっとなあー体力持たないよ。

これからのお仕事に合わせて今の職業のシフトの希望を出せば良いのか

「週一日から可能ってところ探せばいいんだよ」と次男が言っていたな。

そういうところは、好きなところに勤務を入れてくれるそうだ。

実際電話をかけてみるとすぐにでも働いてくれそうな人を探しているところ、オープンは中旬と言っても上旬から研修に入ってほしいところ、お仕事自身は軽い気持ちでという雰囲気でもフルタイムでがっちり働いてほしいといったものもあった。

電話をするとタウンワークにない世界が広がる。
そこには、そこの世界が広がる。
今、わがままな働き方をしなければならない50半ばを超えたおばちゃんに何ができるでしょうか。

数年前、フルでお仕事を決めてきた私にものすごく怒っていた主人の顔を思い出した。

あの時振り切って就職していたらとふと思う

ありえないかな

「今度は時間をかけてもダブルでもフルで働くからね。おとうさん」